震災から3年経ちましたね。
つらいことばかりだったあの震災。
当時はちょうど震度7エリアに住んでいて大変な目にあった。
会社の倉庫で仕事中だったので、落ちてきた物に押し潰されて怪我。骨は無事だったけど体ぼろぼろに。
津波の影響で川が大逆流しているのを見たときはほんとに青ざめた。
住んでたところは無事だったけど、電気が断たれて復旧するまで一週間かかった。オール電化の家だったので、電気がないとなにもできなかった。携帯もあっさりと電池切れて、親戚に無事を連絡するのに5日くらいかかった。
当時はほんとに寒くてね。毎日大変だった。
寒いおかげで冷蔵庫の電源が切れてても食品がなんとか無事だったのは不幸中の幸いだった。
水道は無事だったのでトイレは困らなかったけど、公園の公衆トイレは悲惨なありさまだった。ウ○コが山のように便器に盛り上がってた。
ガソリン・燃料がないのもきつかった。
電気が来てないので、夜の街はほんとに真っ暗だった。
真っ暗闇の中でラジオで情報収集していた。いつ電池が切れるか気が気じゃなかった。
そのうえ、福島原発のニュースのおかげでこれまた気が気じゃなかった。原発から100km内だったので、最悪の状況を考えて満足に寝られなかった。もし女川原発も事故ってたら完全に終わってた。
ラジオで聞いた東電の記者会見はほんとにイライラした。
追い打ちをかけるように震度5〜6の余震(これで余震とか)がひっきりなしに。
地震の多い国だから慣れてたつもりだけど、あくまで横の揺れに慣れていただけだったと気が付いた。縦揺れがほんとに怖いことを知った。
消防、救急車のサイレンもひっきりなしに鳴っていた。
仲の良かった友達3人のうち二人が仕事中に津波にのまれて亡くなり、もう一人は家が完全にやられて北海道の親戚を頼って移住していった。
当時勤めていた会社の別の地方の支店から人員が手伝いに来てくれたんだけど、手伝いに来た人たちも電気も燃料もないところに来たわけで数日で心が荒んでいたっぽい。怪我の影響で早退したら結構手厳しいことを言われたりした。
新潟から来てくれたブルボンの人の炊き出しですごい久しぶりに暖かい米を食べたときは嬉しかった。以来、チョコレート菓子はアルフォートばかり食べています。ブルボンありがとう。
落ち着いてからボランティアに行った街では津波のあとや瓦礫を目の前にして一瞬、ぼーぜんとしてしまった。「だいぶ片付いたんですよ」と現地の人が言ってたけど…。
ツライ思い出。
3年たっても結構鮮明に思い出せるし、簡単に忘れちゃいけないことなんだと思う。
3月なんで、当時と同じくらい寒いんだけどちゃんと電気があるし飯も食べられるしガソリンもある(高いけど!)、地震もほとんど無い。
それは普通のことなんだけど、当時のことを考えると普通のことがほんとに幸せなことなんだな、って実感する。
そんなことを思い返しながら、今日はいざという時の防災グッズなんかの点検と、非常食の補充をしました。