この回の時に、ゲームと出会った時のことを思い出したというような事を書いた。
というわけで、自分のゲームの履歴を少しばかり書いてみることにした。
私が初めてであったゲームはドアドアというファミコンのソフトだった。
チュンソフトのパズルアクションゲーム。
当時、●学生だった私はこのゲームを毎日1時間以上はプレイし、全クリアするまでやりこんだのだった。あのBGM(ステージによりアレンジされたりする)は今でも耳にこびりついており、主人公キャラが歩く時の効果音と共に今でも夢に出てくるほどだ。気になる人はドアドアで動画検索でもするとBGMと主人公の足音についてはワカってもらえると思う。
私の中でドアドアは原点にして神ゲーだ。ドアドアの現行機種への移植はよ。ほんま頼むわチュンソフト様、中村光一様!
ほんとにこのころは天衣無縫でゲームを純粋に楽しんでた。
こんな感じの天使のような笑顔でゲームをプレイしていたのだ。俺の父親の娘の兄がそう言ってるんだから間違いない。
そこからゲームにはまりファミコンソフトを友人と貸し借りしたりでいろいろプレイした。
ドラクエのような国民的なゲームもプレイした。ドラクエ3は発売週の日曜日にハ■ーマックに10本だけ入荷したしたソフトを壮絶なクジ引きにより入手し、家に帰るときはカツアゲに合わないようにすさまじい距離を回り道して帰ったものだった。
その後は流れでスーパーファミコンに移行するも、ソフトがあまりに高額でゲームの購入に四苦八苦することになる。スーファミはあんまりプレイしなかったかな。
大作RPGではドラクエよりFF派でFFは4~6までのスーファミ版は全部クリアした。ドラクエは5、6は一切プレイしていないので実はビアンカだのフローラだの良く知らない。FFのほうのアイテムのスタック機能などが快適で、ドラクエの「やくそう」持ち歩きにくいシステムとかが嫌いだったというのがある。
FF6とかストーリーRPGとしてすごい好きだったなあ。オペラとか好きだったよ。いとしーのー、あなたーはー、って今も全部覚えてる。
ある日、ドアドアが元はパソコンのソフトだということを知り、●学生の私はパソコンに興味を抱くことになる。
そして親戚が所持していたパソコン、MSXという機種を強引に借りていじりまわすことになる。
このMSXという機種は当時にしても古いパソコンで、すでにMSX2+という型が主流だった。
そんなMSXでBASICというプログラム言語を学び、自分で簡単なゲームを作ることに成功。ブロック崩しなどを教本見ながらだったけどね。バグで止まったりするたびに試行錯誤していたのは楽しかった。
問題だったのはプログラムデータを保存する時で、このMSXはカセットテープにデータを保存するのだけど。あ、カセットテープってワカる? 今の子はワカらないかな。まあいいや。
カセットテープへデータを保存する時にはピーーーーーガーーーーーという機械音が鳴り響くので、夜にデータ保存してよく親父に「うるせえ」とぶん殴られていた。
そこからパソコン雑誌などを購入するようになり、MSXやファミコンとは比べ物にならないくらい高いスペックのパソコンの存在を知る。
当然、私はそのパソコンを欲したのだけど、当時ゲームパソコンの主流だったNECのPC-9801シリーズは40万とかする超高級品だった。ハードディスクが20MBとかついてるものはさらに高かったような気がする。
ここで親と取引をして(成績上げるなど)金を前借りし、PC-9801の型落ち品を購入。当然、HDD付きのは買えず。ディスクドライブも3.5インチではなく5インチのFDDが二つ付いているものだった。今の子はフロッピーワカるかなあ? まあいいや。このフロッピーというものはカセットテープよりもだいぶ静かで…まあそれでも書き込み読み込みの時は独特の音が鳴るんですけどね。記憶容量も1.44MBという優れものだった。
今のWindowsパソコンとは違い、MS-DOSというOSで、これはコマンドを入力してパソコンを動かす必要がある。いろいろとコマンドを勉強したなあ。ほとんど忘れてるけど。
パソコンと出会ったことにより、当時PCでのソフト展開を中心としていた日本ファルコムのゲームをプレイする日々が始まる。
英雄伝説シリーズ(今の軌跡シリーズの前のシリーズ)やイース、ソーサリアン、ダイナソアなどなどをプレイした。英雄伝説Ⅱを98でプレイした時にボス戦の曲「ストッパー」が流れた瞬間、ファミコンゲームとのあまりの差に身体が身震いしたのを覚えている。
ファルコム以外ではソードワールドPCというTRPG原作のゲームもプレイした。
PCゲームはディスク交換とか頻繁にあったけど夢中でプレイしていた。
パソコンゲームについて語る上で、アッチ方面も書かねばならぬ。
エロゲーだ。
実は近所には大学生の青年が一人暮らしをしており、彼もまたパソコンの愛好家であった。
必然的に俺と彼は気が合い、よく彼にいろいろと教えてもらいに遊びに行ったものだ。
そこで教えられた。
禁断の世界といふものを…。
●学生の時点で彼が所持しているいろいろえろえろなゲームを借りてこっそりとプレイしていたのだった。今の俺がおっぱいぷるんぷる~ん!などと頻繁に言うようになったのはおそらくこの時期の影響が強いのだと思っている。
大学生の青年に借りたゲームでは、ラ●スとかドラ●ンナイトとかスト■ベリー大戦略とか天使たちの●後とかきゃ●きゃんバニーとかをプレイした。きゃ●きゃんバニーなんてたしか▲学生と行為に及ぶシーンがあったような気がする。今では絶対無理だな。
そのせいなのか、私はそっち方面の成長は同じ年の子供の平均より少し早かったような気がする。●学生にしてティッシュの消費量は相当なものだった。
残念ながらその天国のような日々はそう長く続かなかった。
大学生の青年が卒業して(大学のことね)都会へ就職したためだ。
当時、ゲームに対するレーティングとかは甘かったけどさすがに●学生では購入することは無理だった。
そこで私を救ったのはコンプティークというパソコン雑誌の袋とじ・ちょっとHな福袋だった。…要するにエロゲーコーナーだから袋とじにしてあるわけだ(笑)
コンプティークは福袋以外にも普通の一般パソコンゲームに関しても記事が多いし、この雑誌には別に興味をひかれるものがあり。徐々に、エロゲーに関しては興味が薄れていった。
コンプティークで新たに出会ったもの。
それはテーブルトークRPGというゲーム。略してTPRG 興味がある人はTRPGでググってください。
何年か前、ニコニコ動画などでクトゥルフTRPGが流行したおかげでTRPGというゲームに関しても認知度が上がったと思っている。
コンプティークではTRPGのリプレイというものをやっていて、TRPGのプレイ状況を文章に起こしたもので楽しみ方を教えるというもの。ロードス島戦記、クリスタニアと続いていき、それを見た私はTRPGというゲームに急速に興味を惹かれていった。
ここからロードス島戦記の小説(2巻まではスニーカー文庫というものが無かった)を読んだり、関連作品のソードワールドTRPGとそれを特集している雑誌・ドラゴンマガジンを読み始め、聖エルザクルセイダーズをはじめとする他のライトノベルなども読むようになった。
そして同じような仲間を集めてTRPGセッションなどをするに至る。
この時期はコンピューターゲームからは少し離れていた気がする。
▲学生に上がって部活とかもしたし。いろいろやってるうちに、ティッシュの消費量も少なくなっていったと思う。そっち方面のピークは●学生高学年で終わったというよくわからない成長(笑)
ソードワールド、ロードス、クリスタニア、D&D、クトゥルフ、レレレなどに始まりガープスというルールがやたら複雑なゲームにまで手を伸ばしていた。
この時に一番感銘を受けたのは、海外のゲームブック・ブラッドソードシリーズだった。日本では翻訳されて富士見書房から文庫で発売されていた。でも5巻まであるのに和訳は4巻で終わったんだよなあ。普通のゲームブックのように選択肢で進む以外に途中でTRPGのような戦闘やキャラクターの職業に応じたアクションなどができるTRPGゲームブックだったのだ! 神を畏れぬイコンとか真のマグスとかいまでも覚えている。コンピューターゲームの神がドアドアなら、ゲームブックの神はブラッドソードだ。
■校生に上がってからはパソコン代金を返すためにバイトまみれの日々。
それでもプレステとセガサターンは購入した。
ここから先の話は、そのうち機会があったら。こんな話、完全に誰得だけどね。